星座の歴史(中)
〜恒星の表を作る際の目印〜

2003/05/15


 

 前回は、星座が今から4000年以上も前のメソポタミア地方に生まれたというお話でした。やがて星座はギリシャへと伝えられます。今回は、2世紀にギリシアの天文学者プトレマイオスがまとめた星座についてのお話です。

 


プトレマイオスの48星座の一つ「おとめ座」
(ボーデの星図より)

 プトレマイオスは、それまでいろいろな人が研究してきた天文学を1冊の本にまとめました。

 後に「アルマゲスト」と呼ばれるこの本は、私たちが宇宙の中心にいて太陽や星たちがその周りを動いていると考える「天動説」を確立したことで有名です。その本の中でプトレマイオスは、約1000個の恒星について、それらの位置を表にまとめました。

 

 天体はみな時間がたつと空を東から西へと動いていきますが、恒星の並び方は変わりません。だから星座を作ることができるわけですね。恒星の並び方が分かれば、その中を動く月や惑星の動きが調べられ、暦などを作るのに役立ちます。

 また、近代になり、もっと詳しい観測ができるようになると、恒星は季節ごとあるいは何年かたつと少しだけ位置を変えることが分かりました。この位置のずれから、恒星までの距離や宇宙の中での太陽系の動きなども知ることができます。このように、恒星の位置を測ることは天文学の研究の上でとても重要なことなのです。


宇宙劇場で撮影した
「おおくま座」(右)と「こぐま座」

 

 プトレマイオスは、恒星の表を作る時、位置が分かりやすいように48個の星座を目印に使いました。古代では夜空に描かれた絵にすぎなかった星座が、いつしか科学的にも意味を持つようになったのです。

 この本に登場する星座のほとんどが現在でも使われています。この時期、よく見える春の星座でいえば、おおぐま座、うしかい座、おとめ座などです。みなさんも聞き覚えがある星座ではないでしょうか?

 次回は、その後、星座の数がどうやって増えて、現在の88個になったかなどについてご紹介します。

 

(展示情報係 石原 裕子)

2003年5月13日 福島民友新聞 「ふくしま星空散歩」より